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メール配信業界最速の到達性能を誇る「SIELLA ENGINE」と「La Posta」の開発、販売を行っているシエラ。今回、「SIELLA ENGINE」の生みの親である若山氏に、シエラのビジネスの原点と今後の展望について、大いに語って頂いた。
2007.4.12 文:山本剛
シエラ株式会社
チェアマン 代表取締役 CTO
若山 鉄也 氏
コンピュータには、中学生の頃から興味を持っていました。高校時代には、同じクラスの友人がNECのPC8801等を持っていて、BASICで色々書いて遊んだりしていました。高校卒業後の進路としては、大学へ行く意義を見出せなかったので、大学という選択肢はありませんでした。そこで、自分は将来何がやりたいのかということになったわけです。
当時、興味があったのは写真家かコンピュータ系エンジニアです。写真に興味を持ったのは、高校1年生の時です。好きな子の写真が欲しくて、初めは写真部の友人に撮ってもらっていたのですが、そのうち自分でも撮ってみたくなったのがきっかけです。不純な動機というか、逆にいえば非常に純粋なのかもしれません(笑)。高校の頃には、写真雑誌にに何回か載せていただいたことあったのですが、生業にするまでには至りませんでした。
コンピュータ系エンジニアについては、ソフトウェアであれば何となく分かっていたので、ソフトウェア科目のある専門学校に行くことにしました。当時、私の中でコンピュータの世界ナンバーワンはIBMだというものがあったので、IBMのマシンを導入している千代田工科技術専門学校に、自宅から2時間半ぐらいかけて通学していました。ただ、コンピュータ系の専門学校に行っているのに、なぜかカメラを持って学校に行っていました(笑)。
専門学校では、最初の頃はちゃんと勉強していたので、英語以外の成績は良かったのを覚えています。ソフトウェアエンジニアにも自分は向いていると思いました。ただ、学校での事業はCOBOL,FORTRAN等がメインでしたね。。その頃は既にUNIX、C言語が出てきていて、世の中の流れがUNIX等に傾いていたので、それを学びたかった私は学校で扱ってもらえるよう先生にもお願いしに行ったのですが、結局内容は変わりませんでした。まぁ当然といえば当然でしょうけど(笑)。
そこで、私は1年目の終わり頃に、PC9801を60万ぐらいのローンで購入し、Cコンパイラも自分で買ってCを覚えいきました。そんな学生でしたね。学校で学んで良かったと思うのは、二進数やブール代数、コンピュータの定義、歴史、用語等、いわゆる基礎知識です。それ以外については、むしろ自分で買ってきた『月刊アスキー』等のコンピュータ系雑誌や書籍で勉強し、購入したPCで試したり、言語を覚えたりしていました。
そのような状況もあり、私は単位が足りず途中で辞めてしまいました。しかし父の知人の紹介で小さな独立系ソフトウェアハウスに就職でき、そこでこの業界での経歴をスタートさせることが出来ました。