インタビュー記事

Active! mailの向こう側にあるもの

Active! mailの向こう側にあるもの文教市場、特に大学市場で圧倒的なシェアを誇るWebメールソフト「Active! mail」の開発、販売を行っているトランスウエア代表取締役の松田氏。彼がいたからこそ大学市場で「Active! mail」の確固たるブランドを築くことができ、また今のトランスウエアがあるといっても過言ではない。会社、製品、彼自身今のポジションまでどのように駆け上り、またどのような展望を見据えているのか、大いに語って頂いた。

2006.8.9 文:山本剛

松田社長

株式会社トランスウエア
代表取締役
松田 賢 氏

トランスウエアに行き着くまで

実践的な環境で自身を磨く

私、実は大学に4回しか行っていません(笑)。その後すぐに専門学校に切り替えました。大学というのは、1、2年目は基本を学ぶだけで、応用的な要素がなく時間を無駄にするため、情報処理系の専門学校に行き、アセンブラやC、COBOL等の言語を習得しました。そこから就職するにあたって、当初IT業界に入ってプログラミングやシステム営業をやりたいと思っていたんですけど、私が学生時代にしていたボクシングの古傷で左目を網膜剥離してしまい、眼を使うような仕事にはドクターストップがかかってしまったんです。そこで一旦は幅広く知識を身につけようと、コンサルティング業界に行きました。

私は就職活動というものをしたことがなくて、全て紹介なんですよ(笑)。トータルアクセスカンパニーというコンサルティング会社にも、T社の社長に紹介してもらって入社しました。私の叔父が不動産屋ってこともあって少しバイトで手伝っていたんだけど、その時にT社の社長にビルを売ったことをあってね(笑)。そこからお付き合いが始まっての紹介でした。その会社は当時アパレル、飲食店等のコンサルティングをやっていて、私はそこで2年間コンサルタントとして、幾つかの飲食店やパルコ内のアパレルショップ等を黒字転換させていきました。また、当時インターネットカフェという新しい事業が出てきたので、プロジェクトグループの1人としてゲラゲラという店舗展開も行いました。非常にコストのかからないビジネスモデルだったので、どんどん店舗を増やし、最終的には新宿の紀伊國屋の下に150坪ほどの大きな店舗を構えました。それが32店舗目だったと思うんだけど、そこでスピンアウトしました。

なぜスピンアウトしたかというと、元々この(IT)業界で働きたかったというのと、眼を使う仕事に許可が出たからです。杏林大学病院に在籍する眼科の権威のドクターを紹介してもらって、3回か4回かオペをして、視力が0.0幾つまで戻った。長時間というのは禁止されましたが、ようやく眼を使う仕事の許可をもらいました。それまでコンサルティングをやっていた時の人脈もあって、ここ(トランスウエア)がいいよって紹介を受けて入社したんだけど、その当時社員は5人程でした。基本的にはSEという立場だったんだけど、結局は全部自分でやらないといけないなということで、自由にやらせてもらえることを条件にして入社しました。

他にも紹介は受けてたんだけど、トランスウエアは自由な感じがしたので。私は決して自由を取るタイプじゃなくリスクを取る方なんですけど、今までやってきたことが全て役に立つなと思ったんですね。なぜかというと、まだ組織化されてなかったから、自分で営業して、受注して、開発して、納品して、経理処理をするというのができる。それまではプログラミングや、ガンガン営業するってことはなかったんだけど、逆に今まで自分がやってきた経験を活かせるだろうと。また、規模的に小さかったので、将来の不安等はあったんですけど、今までやってきた自信というものがあったので、何とかなるだろうという勢いであっさり入社しました(笑)。2001年の5月6月くらいだったと思います。色々な職種を経験しています。アパレルやっていた時も飲食やっていた時も現場に立ったこともあったし、実際どうやって変えていこうかということもやっていたんでね。BtoCというところも学んだし、BtoBというところも学んだし。そういったことから、人間的な幅や広がりができたかもしれないですね。

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